明治の「果汁グミ」だ。水々しいフルーツをパッケージの飾っているとこれを連想させた。モチーフや原材料、味をイメージしたものをパッケージやポスターに使うのは何度も話したが今回は果汁グミのパッケージに水々しく見えるブドウをなぜ使うのか、ということを考えていきたい。
フルーツの味をしたものにはフルーツでデザインするということは当たり前だ。しかし普段見かけるフルーツ、売られたりしているものはパッケージの画像のように濡れていたり水滴はついてなどいない。なぜこのようなデザインにしたのだろうか。濡れているということから考えられるのが洗う、冷やすなど水に関わることだ。物によるがブドウだと食べる前に冷やしていたり水で洗ったりと冷たく、表面が濡れた状態で食べる。このことから食べる直前のブドウをイメージしてデザインされたんだろうと考えた。
だがこのパッケージのブドウは気に繋がったままの状態だ。これでは食べる時のブドウではない。そうなると摘みたて、採れたてのブドウを意識した物なのだろうか。フルーツという物はジューシーな方が美味しそうに見える。ということから濡れたブドウにしたのだろうか。
明治の他のグミのブドウ味にも水々しいブドウがデザインされている。
正直どうまとめればいいかわからないがフルーツを使用したデザインは濡れている、水滴が付いている方が新鮮味があり冷たく美味しそうに見えるということだろうという結論で今回は締めたい。
だがこのパッケージのブドウは気に繋がったままの状態だ。これでは食べる時のブドウではない。そうなると摘みたて、採れたてのブドウを意識した物なのだろうか。フルーツという物はジューシーな方が美味しそうに見える。ということから濡れたブドウにしたのだろうか。
明治の他のグミのブドウ味にも水々しいブドウがデザインされている。
正直どうまとめればいいかわからないがフルーツを使用したデザインは濡れている、水滴が付いている方が新鮮味があり冷たく美味しそうに見えるということだろうという結論で今回は締めたい。